第65回全日本ベテランテニス選手権大会(65歳以上ダブルス)に優勝して

 毎年のことながら猪熊(36年東大)・南後(37年神戸大)組は全日本ベテラン選手権大会の出場権を獲得するまで悪戦苦闘し、なんとかぎりぎりの線で出場枠の16組に入りこんでいます。早い目にJOP(Japan Official Point)を獲得しようと出場した6月の関西毎日ベテラン選手権では、あてが外れ、ベスト8とまりで終わり、8月の関東毎日ベテラン選手権大会は、5日連続の雨にたたられ、予定していた日程が大きく狂い、準々決勝は仕事のためデフォルトとなり、このままでは今年の全日本ベテラン選手権大会出場に必要なJOP(Japan Official Point)には遠く届かず、最後のチャンスである8月の関西ベテラン選手権で全日本の決勝で当った生川・古田組に勝ち、何とかベスト4に残ることができ、やっと全日本大会の出場資格を得ました。この時も暑い最中にも拘わらず、渡邊会長、石川先輩、佐野先輩、善野先輩、市山先輩、石田先輩が応援に駆けつけていただき、何と有難い事かと感謝・感激でした。
 
 
 今大会を振り返って見て、やはり2回戦のNO.2シードの高瀬・渡邊組に勝ったことが、その後の試合に臨む気分を楽にしてくれたようでした。高瀬・渡邊組には関西ベテラン選手権の準決勝で渡邊会長以下の目前でいいところなく負けているので、セカンドセット2−2から10ゲーム連取し、ファイナルセットは6−0で取り、リベンジを果たすことができたことがその後の試合運びに自信を与えてくれたようでした。
 
 猪熊・南後組のスタートは、昭和38年、田中東京支部長が結婚され、新築の自宅が完成する前にいち早く完成した自宅内クレイコートに毎週のように集合していた凌霜庭球倶楽部OBの根本先輩が灘高校テニス部の同期生である猪熊さんをコートに連れてこられたことが契機となりました。あれ以来約40年間コンビを組んでいますが、今回の優勝の第1の要因として自他共に認めるのが、猪熊さんという常に沈着・冷静、判断力が優れ、作戦の巧みなパートナーの存在です。これまでの実績から見ても、勝つべき試合で負けているのは大概私の弱気、びびり、しゃかりきという精神的なもろさが原因であり、お前は一体何年テニスをやっているのだと自己嫌悪に陥ることがしばしばあります。 試合中に悪いリズムに入り、私のミスが続く場合でもパートナーの顔色一つ変えない沈着な温顔を見て落着くのです。 コートチェンジの時の何気ない一言「まぁー気楽にいこうや」「そう簡単に勝たしてくれんで」が実に気持ちを楽にしてくれます。 今回の全日本大会の試合中でも何度もそのような場面がありました。40年間のコンビの体験の積み重ねから、何時の間にか、リーダー役とフォロー役のコンビが自然にでき上がってきたのだと思います。
 
 次ぎに上げられる要因は、日頃の練習相手に恵まれていたことです。特に約35年前から毎週通っている東京インドアーテニスクラブでは、10歳以上若くて、スピード、技術、体力に勝る全日本クラスの仲間と藤井道雄選手他全日本を目指して頑張る同年輩のプレイヤーに鍛えられる環境があったことです。
 
 3番目の要因は、自宅のマンションにオムニコートがついており、暇があればいでも仲間を呼んでテニスができる環境にあることです。 技術では劣っているところを仲間の存在と週4回以上のプレイの回数でカバーしているのが実情です。
 
 テニス仲間の皆様から、お祝いメールを沢山頂戴しましたが、なによりも神戸大学庭球部の4年間は新人戦プレイヤーであった私の学生時代のテニスをご存知であるOBの皆様からお祝いのメールはうれしさ格別でした。 連泊して大会会場でずらりと並んで応援していただいた渡邊会長、石川先輩、佐野先輩、菅井先輩、善野先輩ご夫妻、片岡先輩は本当に心強い存在でした。2回の大手術を体験され、精神力で見事病魔に打ち勝ち、生気のある姿で会場に現れ、いつもながら軽妙・洒脱なユーモアあふれる観戦記を書いていただきました片岡先輩にも重ねて心から厚くお礼申し上げます。
 
 学生時代から社会人になってからも神戸大学庭球倶楽部はなんて素晴らしい人間関係で成り立っている倶楽部だろう、こんな素晴らしい大学の体育会庭球倶楽部はあるだろうかと思ったことは何度もありましたが、今回は改めて歴史と伝統の価値を共有させていただいている幸せを実感いたしました。 微力ながらこのテニスを通じて培われた豊かな人間関係の価値を少しでも後輩の皆様に伝えるのが自分の役目だと言い聞かせおります。
 

(南後記)