特集「2011年次報告より」



【目次】

1、会長挨拶

2、新副会長挨拶

3、善野名誉会長追悼

4、渡辺・佐野組全日本ベテラン優勝

5、最後に




1、会長挨拶

来年に向け

会長 澤田欣輝

5月末に会長就任しましてから、早いもので約6ヶ月経ちました。

この間、硬式庭球倶楽部には、色々な出来事がありました。下記致します。


関西大学対抗テニスリーグ戦 成績及び来年度に向けての取り組み

リーグ戦結果
 男子  4部   
 京大   3−6  負   阪大  2−7 負 
 大経大 6−3  勝   龍谷大 3−6 負 

天理大は、登録ミスで失格 2勝3敗で、4部4位となり、4部残留


 女子  4部 
 大阪国際大 4−1 勝 滋賀大 5−0 勝 
 龍谷大    3−2 勝  京産大 4−1 勝
 大教大    1−4 負  

4勝1敗で、4部2位となり、3部昇格入れ替え戦に出場

入れ替え戦   甲南女子大  2−3  惜敗  

真に残念ながら3部昇格ならず
          


来年度に向けての対応策について、現在吉岡幹事長中心に監督学生と相談中であります。

男子部に課題多い為、以降は男子に焦点を当てます。

来年の4部校は、1位関西外国語大、2位龍谷大、3位阪大 4位神戸大 5位兵庫県立大 

6位大阪国際大で実力伯仲しています。


目標は、3部昇格で、最低でも4部残留です。私は、特に部員数の増加対策が非常に

重要だと考えています。

今年は同好会より3名の応援があり、又学生諸君の頑張りもあり、何とか4部残留しましたが、

来年度も非常に厳しい状況は変わっていません。現在部員数 3年生 1名 2年生 2名 

1年生 3名 計6名です。

どのスポーツも同じでしょうが、人数多くお互いが上達するよう切磋琢磨する事が大切です。

従って可能な限りの事をして、同好会、医学部からの入部に努力して頂きたい。

具体化して下さい。0Bは学生諸君への支援は行います。危機感持ってやって頂きたい。

新入生の勧誘も共々努力しましょう。

女子部には、失礼しましたが、今年と同様3部昇格を目標に頑張って下さい期待しています。

会長就任して以来、二つの非常に残念で、悲しい訃報が有りました。

伊藤英吉名誉会員、善野史郎名誉会長が亡くなられました。私にとっては、大先輩であり、

雲上人のような存在でした。伊藤先輩には生前お目にかかった事有りませんが、確か

部室内の写真でお見かけした記憶があります。

善野先輩には、学生時代に練習に来て頂き、壁に向かって打つようなバックハンドを

経験させて頂きました。又、会長として永年に亘り貢献され、良き指導もして頂きました。

日本のテニス界、勿論神戸硬式庭球倶楽部にとって大きな柱が倒れました。

真に、真に残念です。

大先輩お二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。





2、新副会長挨拶



副会長就任挨拶 

井村孝一、林和彦、松中一郎

【 井村孝一 】  昭和43年卒業 
 
 1、 略歴   
 S19(1944年).4.27に大阪で生まれ、04.4.30で60才定年。

住吉幼稚園(青白く虚弱体質)、住吉小学校(低学年 逆上がり出来ず。

高学年 学年代表でソフト7番キャッチャー)、住吉中学校(勉強一筋)、

住吉高校(反動でテニスを)、一浪後S39神戸大学(経営)<テニスが好き、

神戸まで通学、新聞配達も>、S43(1968年)日立製作所入社、勤労総務

関係一筋で、多賀、栃木、岐阜、横浜の各工場、本社そして関連会社を経。

栃木県テニス協会 理事長就任し、7年目  
              
2、 体験からの一言   

明解に言うことは言う、怒る時は怒る。ハッと感動する人生を。

現認する癖(多分とか、曖昧にしない)

@確実な知識、余りにも不確実な知識が多い。ハッと感動する一言、ジーンと心に響く一冊

A事実を押え、現認する癖をつける  Bもう一言を大切に  Cスピ−ドと決断  

D待ち体質の打破、自ら進んで自主的、自発的企画立案    E時間のゆとりとケジメ

F幅広いものの見方、考え方、仕事への取り組み方  G企業人としてのモラル 

H健康(頭・心・腹の中にためない) Iユーモア(揚げ足でなく腹から、本音)   J気配り 

K個を磨く、自己改革

L問題点を先送りしない。未然防止のため早目早目に手を打つ。 

MCS(顧客満足)、顧とは  N同じ間違いを繰り返さない


 3、 家族

 (1)大阪の母親は88才。栃木に家を建て早や二十数年。妻、長女家族4人、次女家族3人、

三女は来年2月に結婚予定。孫は3人。

(2)大阪に弟(井村健二)夫婦がいて、奥さん(雅代)は、シンクロナイズドスウィミングで世界を飛び

回っている。井村シンクロナイズドクラブと世界の底上げの一助に。


 4、 私の今後の人生観

(1) 高校からテニスを始め52年、今も毎週のテニスが肉体的にも精神的にも健康に

役立っている。茨城県日立多賀工場時代には、茨城県庭球選手権大会で、単複優勝の

経験有り(学生時代は芽が出なかったが、コートに親しみ、足腰を鍛えた成果?)。

(2) 日立定年後、縁の下の力持ちとして、栃木県テニス協会理事長兼ベテラン委員長として奮闘中。

 
【温暖化防止チーム・マイナス6%運動】  
 「自分のゴミ+One運動+エコキャップ」を実施します。
 自分のゴミと周りに落ちているゴミの持ち帰り運動の推進


@ 支面の更なる健全化・集中投資及び登録人員増・大会参加者増対策の地道な努力

A 参加し易い土壌作りと、一貫した指導体制作り

B トップ層の更なる引き上げと「次代を担うジュニアの発掘・普及・育成・強化10ケ年計画」の推進

(3)現ユニティダイワ乾顧問で、ユニフォームの営業開拓の仕事を。

(4)国(文部科学省)の資格で「スポーツ指導員」を、04/10取得し、ジュニアの育成の一助に。

最後に、KUTCの益々の発展と活躍を祈念。

つたない経験と一言を参考に、更に貪欲に吸収し、大いに活躍下さい。          

ご参考   http://www.tochigi-tennis.com/ 

 以上
 【 林 和彦 】  昭和53年卒業 

 
 略歴  
 1974年、大阪府立豊中高校を卒業、工学部 電子工学科に入学、

1978年、卒業と同時に愛知県のトヨタ自動車に就職。現役テニス選手として

全日本選手 権他、各種試合に出場。1989年、欧州ベルギーに赴任。

欧州駐在中 は、故沢松 正先輩に紹介状を書いていただき、市山哲先輩と

毎週の様に練習し、日本人テニス大会、全仏で沢松奈生子選手のヒッティン

グパートナーをするなどテニス活動は継続。

1993年、帰国しトヨタ自動車テニス部の幹事・監督時には選手として

リーグ戦、実業団大会に16年関与。2004年、善野史郎先輩とのペアで

全国百 歳庭球トーナメント優勝

2009年:住友電装(株)に住友電工(株) 兼務として転籍。

テニスは少し遠くなる
 

このたび、平成23年年5月28日の総会にて 新副会長に選任され就任致しました林和彦です

澤田新会長より電話で打診を受け、名古屋+仕事現役というハンディがありますがいいですか?と

お尋ねすると、『今はいい』との含みあるお言葉をいただきました。

 善野史郎先輩にはテニス以外の私生活において も御指導いただき、いくら感謝しても足りません

また沢松正先輩には、学生時代からよくしかられ指導を受け、卒業後もお酒の飲み方はじめ、

たくさん教えていただきました。改めて、偉大な両先輩のご冥福をお祈り申し上げます

1999年から転籍するまでの10年間は車の大増産〜リーマンの両極端な時期で、朝6時に家を出て

夜中に帰るという生活が続き、出口なき仕事に追われていました。唯一上記の2004年善野先輩との

百歳優勝と2007年にトヨタ自動車テニス部を部長として全国実業団ビジネスパル優勝に導いたのが

明るい話題です。

私の役目はまず、現役練習への参加だと思って います学生時代にいただいた数々のご指導への

恩返し も含めまして盛り上げていきたいと思います


  【 松中一郎 】  昭和54年卒業

 【就任にあたり】

このたび、神戸大学庭球倶楽部(以下KUTC)副会長に就任しました昭和54年卒の松中です。

澤田新会長からの就任依頼は、まさに青天の霹靂で、お断りしようと試みましたが、悲しいかな

体育会運動部育ちの人間の弱いところで、先輩の説得にあっさり押し切られました。


【私の役割】

私の役割は、もちろん澤田会長をサポートすることですが、では、何ができるのか?

普段は仕事もありますので、できることは限られています。

@ OB会の出席や現役の練習参加、試合の応援を通じ、学生とコミュニケーションを図ること

A 学生と同じ言語でしゃべれるようになり、学生と共に問題意識を共有すること

以上少し考えてみましたが、大したことはできません。本当は学生と一緒に練習するのが、

手っ取り早くコミュニケーションを図ることができ、現役クラブの雰囲気を掴むことができるのですが、

悲しいかな先般の三商大OB戦で膝を痛めてしまい、テニスの再開がいつになるのか分らない

状況です。OB会では中堅?でも、やはり歳です・・・


【最後に】

創部100周年以降、OB会から少し遠ざかっていましたので、OB会、現役の詳しい状況が

把握できていないかもしれません。現役学生のクラブ活動の活性化がKUTCの活性化につな

がるということはみなさん異論のないところだと思います。昨年亡くなった家内(S54卒)のことも

あり女子部にも目配りをし、できる範囲のことでKUTCに貢献できればと思っています。
 
 
 3、善野名誉会長追悼

 

 善野史郎君を偲ぶ
 思い出せば、君とは、昭和28年 神戸大学の入学式に遡り桜が満開の3月終わりごろ、

神戸大学のテニスコートでお会いしたのが初の出会いでしたね。

それ以来、神戸大学での学生生活、更に社会人でも丸紅で同じ釜の飯を食べ、60年も経ち

ましたね。君とは、何でも話せる一生の友でした。あの明るい笑顔、アドバイスに何度励まさ

れたことか、もう、二度と明るい笑顔や心からのお話を見たり、聞けないと思うと悲しみがさらに

増えてまいります。

テニスでは、抜群のストロークなかでも、バックハンドのストロークは天下一品で、かつ物怖じ

しない勝負強さで難敵をつぎからつぎに打ち破ってきましたね。おそらく 神戸大学庭球部の

伝統の歴史の中でも、五指に数えられる名選手だと確信しています。

社会人になってから、丸紅では、綿花部に属され、綿の買い付けで、長年にわたり、米国に

駐在され、大きな功績をのこされました。退職後、神戸大学の庭球部のOB会の会長、甲子園

テニスクラブの会長と重職を卒なく、立派にこなされました。これも、ひとえに君の人徳の賜物

だといおもいます。本当に器の大きい人物でした。また、頭脳明晰で、今で言う超イケメンでし

たので、本当によくもてましたね。うらやましいかぎりでした。

私も数年後には、君の居られるそちらに行きますので、美味しいところや、楽しいところを案

内してくださいね。

最後に君のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 さようなら。

                                     
  昭和32年卒 民野忠男
                                     
                 
 
   
 2008年 ウィンブルドン・ロンドンにて [写真は市山(S35)提供]
 

 
 
4、渡辺・佐野組全日本ベテラン優勝

 どっこい生きていた


−2011年第73回全日本ベテランテニス選手権参戦記―
    

 渡邊健一 (S28卒)
 

今年の全日本は予想外に、簡単、順調だった。佐野 健君と組んで2度目、5年振りの勝利である。

80歳以上ダブルスのエントリーが昨年までの12から8に減らされ、その最後の8番目にカツカツ

滑り込んだ我々ペアーが、1回戦から優勝戦まで1セットも落とさず、すべてストレート、それも終始

リードを保って、コレはイカン、何とかせねばと思う場面も全くない完勝だった。
 
大事な試合に臨んで平常心を保ち、日頃の実力を100%発揮することは中々難しい。

今年の全日本で我々ペアーはほぼ日頃の力を出せたと思うが、試合前は非常に不調だった。

練習試合に負け続け、自信も無くしていたパートナーの佐野 健君が自分の不調を何とか克服する

ために、試合前の数日、私に告げずに一人で練習に励んで、本番では完全に復調して活躍して

くれた。これが今年の、はっきりわかっている最大の勝因である。ご苦労でしたと慰労してあげたい。

二人とも険しい八十路を過ぎてなおこうして元気にテニスが出来るなど、本当に有難いことと

感謝している。

 
話は変わるが、私は何故か優勝戦では勝つ確率が高い。正確に計算してはいないが、75%、

4つの内、3つは勝っているだろう。一番厳しい筈の優勝戦で、そんな高い確率で勝てる秘訣は

なんだろう?それを一番知りたいのは私だ。70年テニスをやっているが、未だ全くわからない。

大小多くの試合で沢山の優勝戦の経験があるのに・・・。全日本のような大きな試合を前にすると、

誰でも同じだろうが、異様に緊張し、不安になる。「負ける怖れ」への不安でもある。

試合2〜3日前になると、それが頂点に達して、もう勝ちでも負けでもよいから早く済んでくれと

願うようになる。試合になってコートに立って、とんでもなくガタガタになってサーブもストロークも

何もかも入らなくなるのではないかというような恐怖、今まで偶にそんなことがあったから・・。

そして「今日は負けるのではないか」と言う不安等‥。不思議なことにそういう不安をやり過ごすと

「勝ち」、それが続くと優勝ということになる。同じようなことをオリンピックで3連覇した柔道の

野村忠宏選手が言っていたことがある。だから逆に言って「不安を抱えた侭、優勝戦に臨むと

勝てる」ということになる。しかしそんな不安心理を自分から能動的に作り出すことなど出来ない。

だから優勝戦で高い確率で勝つ秘訣などわからないのである。

 馬鹿みたいなことを喋ってしまったが、老人の繰言と読み流して下さい。全日本を取ると、

何時も盟友故沢松 正君の墓に報告に行くのが恒例になっていて、今年も10月18日に報告

してきた。これで4回目である。もうこれで最後だろう。 (2011.11.11)
 
 大きな悦びと深い悲しみの狭間(全日本優勝と善野君との別れ)
 佐野 健 (S30卒)

 善野さん(善ちゃん)と知り合ってから60年はゆうに超える。その善ちゃんとの別れが5年ぶりの

全日本ベテラン優勝と略同時に起ころうとは・・・運命のいたずらか?

終戦の翌年灘中で初めてラケットを握った私は神戸一中のテニス部で活躍していた彼と知り合った。

 その後彼は甲陽高校に移り私より2年後に神戸大学に入り早速庭球部に入部。

ペアーを組んだ1954年の関西大学リーグ戦ではそれまで一度も勝てなかった関学の渡邊・平瀬組に

勝ったのが記憶に残る。社会に出てからも同じ原棉畑で彼は丸紅、私はトーメン同時期に同じ

勤務地と言う事は無かったがお互いに海外勤務も長く、顔を合わせる機会は少なかった。

1980年代初めにNYに駐在していた私のところへDallasに居た彼がやって来て久し振りに郊外の

室内コートでテニスを楽しんだ事も懐かしい。お互いに第二のお勤めに入った2000年4月芦屋

国際ローンテニス倶楽部主宰のアシヤ シニアー・オープン大会で善ちゃんと組んでBブロック

(合計年齢129-143)に優勝したのが私のベテランテニスに参加するきっかけとなった。

善ちゃんは私よりずっと早く1990年には大毎オープンと関西オープン55歳に斉藤さん(関学OB)と

組んで優勝を皮切りにその後大毎に4回(65歳x3、70歳x1)関西は何と6回(55歳x3、60歳x3)

全日本でも斉藤さんと1990・91年と連続で55歳複、1994年にも60歳複のタイトルを獲得している。

関西大震災後甲子園TCで渡邊さんを中心に善ちゃんなど十数名のグループが出来毎週末昼過ぎ

迄テニスをして、タイガースの選手も時々顔を出す近くの蕎麦屋で昼食をするのが習慣となり

至福の時を過したものだ。

私は2001年に先輩の石川さん(新制1回)に組んで貰い全日本に初参加(決勝で渡邊・森組に

コテンパンに負)した翌年から5歳刻みの同じカテゴリーに居る限りは渡邊さんとのペアーで2006年に

75歳複優勝、2008年には準優勝、そして今回に至ったのだが、2004/5年と二度渡邊さんが佐賀の

全日本ローンで75歳シングルスに優勝された際応援がてら善ちゃんと組んで70歳ダブルスに

出場したが、何れも私の不調が祟って初戦敗退、2009年には善ちゃんと初めて全日本にも出て

善戦したものの初戦で敗退、昨年4月東海毎日の2回戦でNo.1シード(森田・宮地)に善戦したものの

敗れ、残念ながら彼とのペアーで良い成績が残せぬまま終わってしまった。また5月開催の大毎にも

申し込んで居たが締め切り当日(4月2日)の朝“東海毎日には出られますが5月前半に検査入院

することになったので日程上大毎には出れないのでキャンセルお願いします”と電話あり此れが

悪夢の始まりだった。爾来食道・胃・肝臓と次々に見付かった癌治療の為の入退院を繰り返し

その間元気になってはコートにやって来て一緒にテニスが出来ていたが“酒がのめまへんねん”

“ビールもアカン云いよりまんねん”ととても残念そう。

それが今年の4月頃まで続いたろうか、その後はテニスはせず昼頃にやって来て我々と一緒に

昼食をとる事が多くなったがそれも私の記憶する限り6月12日が最後。今年の夏の猛暑が応えた

のかコートにもあまり姿を見せなくなり時々電話で話したりしたが食欲が無く痩せたと声も弱くなり

だした。 8月22日に病院より態々電話を呉れ我々が関西オープンで熱中症のため初戦敗退したこと

を伝えると10月の全日本にエントリー出来るか(今年から80歳複の枠が4組減らされて8組になってし

まった為)を心配して呉れていた。9月10日に一度拙宅に来て頂けぬかとの事でテニスの後食事を

済ませてから渡邊、石川両先輩と3人でお宅にお邪魔し奥様もご一緒に冷たいものなど頂きながら

色々話しをしたがその時は9月の終り頃に大阪の病院で別の治療の為の手術をして貰う予定、

現役の入れ替え戦など等、小一時間ほど話しをし、秋になって気候が良くなったら元気にコートに

来るようにと激励して別れたが此れが善ちゃんと会った最後となってしまった。昨年春から約1年半、

善ちゃんの闘病振りはあのネバリと何処までも諦めないテニスと全く同じ立派なものだった。

9月12日渡邊さんから電話で全日本80歳複にエントリー出来ているらしいと教えていただき、

上位ランクの3名のペアーメーキング(2位が棄権、1位と8位が組んだ)に助けられ16位tieの我々が

最後の8枠に滑り込めたことを確認、早速善ちゃんに伝えた所、我がことの様に喜んでくれ我々宛

“オメデトウ、応援楽しみにしております”とメールを呉れた。その後全日本に備えての練習、

芦屋グランドベテラン大会、台風襲来など有って気には掛かっていたが甲子園のテニス仲間から

善野さんは26日に入院先の兵庫医大で検査した所、黄疸の数値がとても悪いので予定していた

大阪での治療を中止し様子見ることにしていると聞いた。


10月3日夕刻渡邊さんと名古屋へ、常宿のメルパルク名古屋に投宿。翌日朝食後、私は此処に

来ると時間が許す限り必ず行く徒歩で10分余りの布池カトリック教会(カテドラル)の階段の右下に

ある白いマリア様の像に“どうぞ善野さんが早く元気になって又一緒にテニスが出来ますように、

今日の試合で我々が全力を出し切れますように”とお祈りし、直ぐ横の公園で足腰のストレッチ。

一回戦は久武・好士組に6.・2, 6・3で勝利、翌日の2回戦(SF)は滑川・赤鹿組だったが当日は

朝から大雨で翌日に持ち越された。

翌朝は天気で風が強かったが先ず順当に6・3、6・3で勝利、7日の決勝は森・川内組、5月の

大毎決勝では6・4, 6・4で勝っている相手、前日よりも更に北西の風が強く特にサービスがやり難く

なったが相手の頭上を越すロブが良く決まり、脚のもたつきも無く渡邊さんも私も元気一杯6・3,

6・3とストレートで5年ぶりの完全勝利。


新年会の挨拶で“今年はサノケンが80になるのでサノケンと組んでもう一遍オールジャパンを

獲ろかと言うか・・・彼の意欲に刺激されて今年はちょっと頑張ろうと思っています”と宣言された

渡邊さん、“80で又勝てるとは思はなんだ、良かった、良かった”と歓喜の握手。何と言っても

渡邊さんが主導して頂けるからこそ私は何時も言っている様におんぶに抱っこで気兼ねなくプレー

出来て居る訳で80歳台では現在本当に日本でベストのペアーだと感謝しています。

夕方カップと盾、景品を持って帰阪その脚でマッサージに立ち寄り遅い夕食後善ちゃん宅に

電話したところ御子息が出られ“黄疸の数値が危機的となったので二日ほど前に呼び戻され

ましたが、今は落ち着いています”との事。“御父さんに我々の全日本の結果を随分気に掛けて

貰っていたので無事優勝して今夕帰って来ましたとお伝え下さい”とお願いした。後で伺ったが

御子息は夜遅くにも拘わらず病院へ駆けつけその旨善ちゃんに伝えて頂いた所“ふん、ふん”と

頷いて解ってくれた由。

翌々日の日曜日教会の帰りに御子息より“今日の午前0時28分に亡くなりました”と電話を頂き

優勝の喜びから40時間も経たぬうちに永年の友を失った悲しみと余りにも大きな落差に呆然。

我々の勝利をいち早く今年天国に行った谷(新2回)さん、村尾(新11回)さんそして15年前に

急逝された澤松正(旧23回)さんに持って行ってくれたと信じているが何もそんなに急がなくても。

一緒に喜びたかったのに・・・。


同日夜7時より西宮の山手会館で御通夜、翌10日11:30より葬儀告別式がご家族、KUTC関係、

テニス関係、会社関係など大勢の参列者で大きな1階ホールと2階は満員、柔和な笑顔の写真を

中心にホワイト一色の花が祭壇一杯に飾られ参列者全てが善野君の早い死を悲しみ、別れを

惜しんだ。此れも善ちゃんの庭球界に対する貢献と人徳の致す所でとても和やかで立派なお別れ

だった。
2006年にKUTC会長職を渡邊さんから引き継いだ善野前会長は今年5月に会長職を澤田会長に

引き継いだ後も現役が何とか早く一部とは言わぬが上位に帰り咲いてくれる事を切に願っていた。

現役の皆さん頑張れ!!       
  
善ちゃんのご冥福を祈りつつ。             
 完

 
追記  今回の優勝戦の簡単な分析(菅井君による)
 
   渡邊・佐野 組     森 ・川内 組  
   First  Second  Total     First Second   Total
 自力ポイント数  26  17  43    10  6  16
 相手ミス・ポイント数  13  12  25    19  17  36
 合  計  39  29  68    29  23  52
(註: ミス・ポイントとはお互いに相手のネット、アウトで得たポイント)       

 
以上から我が組は自力ポイントが相手より27ポイント多く、反面ミスによる失点が11ポイント多い。

結局Two Sets を通じて獲得ポイントの差は16ポイントという事。 ミスが多いのが今後の課題。

Duceになったゲームは1stで4(内3獲得) 2ndで1(獲得) 
 
 
5、最後に
 
 ●会費納入のお願い● 

 幹事長 吉岡伸敏
 
   平素は母校庭球部ならびにKUTCの活動にご支援頂き、有難うございます。

7月末の総会報告時にお願いしました年会費・ご寄付の納入につきましては、12月15日現在で

203名方から納付いただきありがとうございます。

しかし、予算の230名には27名の未達となっており、今後のコート改修、部室の改築 等に備える

必要があり、1人でも多くの会員の協力が必要な状況にあります。

   年会費(五千円)及びご寄付につきましては、下記口座へお手続きをお願いします。

尚、手続きの 簡単な「自動振替システム」をご利用の際は、会計担当へご連絡下さい。


   [会計担当] 三田 滋 T/F 072-792-5447  メール sm0214xyz@hotmail.co.jp 

 銀行口座 三井住友銀行 御堂筋支店  郵便振替口座
普通預金  7454016
口座名  神戸大学庭球倶楽部
 00920−0−180215
加入者名 神戸大学庭球倶楽部