12月に入ってすぐ一枚の喪中の為年賀欠礼の葉書が舞い込んだ。
それは長濱君が12月2日に天に召されたと言う奥様からのものだった。そんな事態になっている
ことは想像もして居らず、余りにも突然の事でビックリした。数年前から“もうアカン、もうアカン”と
口癖の様に言っていたが実際に会ったのは何時か思い出せない。電話では時々話したが一度
ポートピアホテル出ておいでよ、飯でも食べようと言ってくれたが今にして思えば実現出来なかった
のが残念至極だ。
我々神戸大学硬式庭球部新制3回生の名マネージャー長濱俊夫君の目に見える一番の功績は
何と言っても部員の着替えが出来る場所をと先輩各位を回り説得して当時としては多額の寄付を
集め六甲台キャンパスのプール下にあったテニスコート横に昭和29年春に瀟洒な部室を完成
させた事。その部室はテニスコート移転に伴い運動場北東隅コートの傍にあり今も現役学生が
使用している。その上私を初め当事の部員全員の活動を資金面から、精神面からサポートして
くれた事。彼なくして私の主将としての責務完遂はなかった。
色白で背が低く肩をゆすって歩く彼、責任感、使命感の塊のようであった。
そして“ぼやきの長濱”と言われる通り我々が少しでも彼の思うとおり精一杯の努力を欠いたと
見た時、彼のぼやきが遠慮無く降って来る。彼の異名の所以である。
卒業後は宇部興産に勤務、大学の事務局に居た律ちゃんと結婚、後に神戸ポートピアホテルで
ワールドインテリヤー店を経営など一生仕事に従事頑張っていたが何時の頃からか癌に侵され
最後は骨髄に転移神戸市民病院での加療、11月に六甲病院のホスピスへ移り病床での日本
キリスト教団神戸教会の洗礼を受け穏やかに天国へ旅立ったと奥様から伺った。
彼の功績を讃え、感謝の気持ちで彼の天国での平穏な生活を心より祈っている。 |